日本語版へのまえがき 我々の著書『半導体の基礎』の日本語版が出版されるのを目の当たりにして,非常に嬉 しく,また名誉に思う.我々の本の最初の外国語訳が日本語版であるのは,当を得ている .なぜなら,日本は世界第二の経済大国であるばかりではなく,半導体メモリーチップや 多くの半導体デバイスの最大製造国だからである.最近,日本の研究者が半導体技術にお いて重大なブレークスルーを開いた.それは,緑と青色の発光ダイオード(LED)を初め て製品化し,また室温で10,000時間を超える寿命をもった連続発振青色レーザーダイオー ドを実現したことである.これらの新たな展開は,III族元素窒化物の大ギャップ半導体 に基づいている.その結果,これらの物質は世界中の注目を集め続けており,今後何年に もわたって間違いなく半導体物理の発展に影響を与えていくであろう. したがって,我々の本の日本語訳の出現が,日本における半導体物理学者の育成に寄与 し,ひいては,日本の研究者と世界中の英語圏の研究者とのより緊密な交流を促すことを 期待する. 我々の本の日本語への翻訳という難事業を遂行してくれる,4名の非常に尊敬すべき日本 の半導体物理学者に巡り合うことができたのは,我々にとってとりわけ幸運であった.末 元,勝本,岡,大成の各氏は,皆,半導体物理の専門家であり,経験豊富な教育者でもあ る.彼らによるこの日本語版は,極めて質の高いものになるに違いなく,研究者や学生か ら尊敬を受けている彼らが翻訳の筆を執ってくれたことで,この本も相応の評価を受ける であろう. 最後になるが,江崎玲於奈教授に我々の本の日本語版への前文を書いていただいたことに 対して深く感謝する.これは,世界の指導的立場にあり,日本在住の最も偉大な半導体物 理学者の1人である彼が,この日本語版に与えた最高の栄誉である. 1998年11月 原著者 ******************************************************************************** 日本語版に寄せて Peter YuとManuel Cardona共著の定評ある半導体物理の教科書,``Fundamentals of Semi conductors"の訳本が多くの人の努力で出版されることになったが,私はそれを大変うれ しく思う1人である.というのも,私がこの有能な2人の著者を良く知っているというだ けではなく,内容が新鮮で血が通ったように生き生きとしているので,わが国の多くの研 究者,技術者の心(Mind)を捉え啓発することが期待できるからである. 考えてみれば,「半導体」という言葉を聞いて3つ思い浮かべることがある.1つは「固 体物理学」であり,もう1つは「固体エレクトロニクス」であり,更にもう1つは「結晶 成長」ではないであろうか.即ち,半導体はMultidisciplinaryとでも言おうか,物理学 の立場からだけではなく,電子工学や材料工学などの立場からも重要な研究対象なのであ る.2人の著者はいずれも企業の中央研究所で仕事をした経験があるということによって もこのことは裏付けられる.ちなみにPeter Yuさんは私と同じニューヨークにあるIBM T. J. Watson研究所にいたことがある. 科学は自然界のルールを解明する知識であり,それを応用するのが技術であるが,この科 学と技術が素晴らしい発展を遂げたのが20世紀の特徴であろう.今世紀最大の業績の1つ は,何といっても量子力学の確立であろう.量子への関心は今世紀初頭に始まったが,19 25年頃までにはWerner Heisenberg,Max Born,Paul Dirac,Erwin Schr\"odingerらの手 によってその枠組みがほぼ確立された.この量子力学による固体論の発展により,金属, 半導体,絶縁体などの物質への理解は格段に高めることができたのである. 更に今世紀最も大きな影響を与えた発明の1つは,1947-1948年,3人の物理学者,Willi am Shockley,John Bardeen,Walter Brattainにより,半導体の特性に基づいて考案され た増幅装置,トランジスタである.そして1950年代には「真空管エレクトロニクス」から 「半導体エレクトロニクス」へと,大きな技術革新が進行したのである.この革新なしに は,今や日用品となったコンピュータや通信装置,さまざまのコンスーマー電子機器など も存在せず,半導体デバイスの発展なしには現在の情報化社会は考えられないのが事実で ある. したがって,本書の序で述べられているように,本書をひもとく読者は単に物理学の学生 にとどまらず,電子工学や材料工学などの学生諸君にも広がるのである.私自身,半導体 物理を生涯の友としてきた者であるが,基礎と応用,あるいは科学と工学が極めて近い関 係にあることが特徴であり,その相互作用がこの分野の活力源にもなっていると思われる .1998年のノーベル物理学賞は予想外の現象と言える分数量子ホール効果の発見とその理 論に与えられたが,これなども変調ドープ技術の向上により,極度に高いキャリア移動度 を持つ高品質の結晶が実現したことによってはじめて観測することができた大きなサプラ イズなのである. 本書には今までにないちょっと新しい試みがなされている.それは半導体物理の歴史の中 の重要な展開のいくつかについて,その立て役者(9人)からの回想が掲載されていること である.実は,人工量子構造である超格子の誕生については,私も寄稿者の1人に選ばれ ている.これらは読者に,研究は血の通ったものだという親愛感をもたらすのではないで あろうか.ともかく,本書が日本の多くの研究者,技術者を刺激し,鼓舞し,わが国の半 導体分野の発展に貢献することを期待して筆をおくことにする. 1998年11月 江崎玲於奈